第502重戦車大隊
(第511重戦車大隊)
1942年8月20日にタイガーT4両が全部隊の中で最初に配属された。8月29日に行軍を開始するも、減速機の故障のため4両中3両が走行不能となる。その後も随時支給を受け、V号戦車(L型及びN型)とともに戦闘を開始する。 第1中隊のみで東部戦線北部地区で戦ったが、第2中隊が1942年12月に編成を完了し、ウクライナに派遣された。その後第2中隊は、ロストフ到着後の1943年3月に 、第503重戦車大隊第3中隊に吸収された。 1943年7月にタイガーT45両の編成となった。その後も タイガーTが支給され、最大71両を保有した。1944年6月のソ連軍夏季攻勢によって北方軍集団はクアラント半島に包囲されるが、バルト海沿岸で1945年1月まで戦闘を続けた。その後海路から脱出に成功した。危機的状況に陥った東プロイセンに投入され た。 第3中隊は、3月にカッセルのヘンシェル社工場で8両のタイガーUを受領し、カッセル近郊で戦った。他の部隊は東プロイセンで5月9日のソ連軍への降伏まで、戦い続けた。戦車エースのオットーカリウスが所属した部隊である。 SS第102重戦車大隊がSS第502重戦車大隊と改称したため、1945年1月5日付けの指令で、第502重戦車大隊は、 第511重戦車大隊と改称された。第1中隊はヘッツァー10両、第2中隊はタイガーT10両装備のままであったが、第3中隊はタイガーU装備となった。 |
1942年9月 東部戦線北部地区
タイガーT極初期型 砲塔の両側に工具箱は現地で取り付けられた。エアフィルター、サイドスカートは取り付けられていない。 |
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3号戦車の工具箱が取り付けられている。 | |
モスクワで展示される最初に鹵獲されたタイガーT極初期型
1942年12月 レニングラード(現サンクト・ペテルブルク)
第2中隊は、ウクライナ方面
V号戦車(L型及びN型)との混成部隊で2個大隊編成
砲塔番号と色
大隊本部 | 軽小隊 | 01,02,03,04 | V |
05、06,07,08 | V | ||
第1中隊 | 中隊本部 | 100,101,102,103 | Y,Y,V,Y |
第1小隊 | 111,112,113,114,115 | Y,Y,V,V,V | |
第2小隊 | 121,122,123,124,125 | Y,Y,V,V,V | |
第3小隊 | 131,132,133,134,135 | Y,Y,V,V,V | |
第2中隊 | 中隊本部 | 200,201,202 | Y,Y,V |
第1小隊 | 211,212,213,214 | Y | |
215,216,217,218 | V | ||
第2小隊 | 221,222,223,224 | Y | |
225,226,227,228 | V |
タイガーT極初期型 冬季迷彩 | |
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V号戦車が合流、架空戦記L型、WTM第7弾J型の混成チームです。
1943年2月 ラドガ湖畔
全車タイガーT装備 (V号戦車を全て失う)
砲塔番号と色
第1中隊 | 1,2,3,4,5 | 黒文字 |
1943年6月 ラドガ湖畔
全車タイガーT装備
砲塔番号と色
第1中隊 | 中隊本部 | 01,02 | |
第1小隊 | 11,12,13,14 | ||
第2小隊 | 21,22,23,24 | ||
第3小隊 | 31,32,33,34 |
1944年2月 東部戦線
事務的なミスにより、定数の45両を大きく上回る最大81両のタイガーが配備された。
砲塔番号と色(81両編成時)
大隊本部 |
T , U , V |
黒文字 |
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第1中隊 | 中隊本部 |
100,101,102,103,104,105,106,107,108 |
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第1小隊 |
111,112,113,114,115,116,117,118,119 |
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第2小隊 | 121,122,123,124 | ||
第3小隊 | 131,132,133,134 | ||
第2中隊 | 中隊本部 |
200,202,202,203,204,205,206,207,208 |
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第1小隊 |
211,212,213,214,215,216,217,218,219 |
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第2小隊 | 221,222,223,224 | ||
第3小隊 | 231,232,233,234 | ||
第3中隊 | 中隊本部 |
300,301,302,303,304,305,306,307,308 |
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第1小隊 |
311,312,313,314,315,316,317,318,319 |
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第2小隊 | 321,322,323,324 | ||
第3小隊 | 331,332,333,334 |