MA第6弾 ユンカースJu87 スツーカ(童友社)

2003年9月発売

1939年にはじまるポーランド侵攻や開戦当初の電撃戦(ブリッツクリーク)において非常に大きな戦果を挙げたが、1940年の対イギリス戦(バトル・オブ・ブリテン)では、防弾性能の低さと制空権を確保していない地点への投入によりスピットファイアやハリケーンなどのイギリス軍機に多数が撃墜され、大きな損害を出した。

以後さまざまなタイプに発展しながらも、(少なくとも外見的には)大きな改変は無く終戦までに5,709機が生産されることになる。1940年以降は主にアフリカ戦線および東部戦線に配備され、特に東部戦線においては絶大な対地戦闘能力を発揮した。しかし大戦後半には本機の性能では昼間の作戦行動は自殺行為となり、夜間行動型に改修されて使用された。なお、本機に代わって地上支援任務についたのは Fw 190 の戦闘爆撃機型であった。

 

036:B−1型 第77急降下爆撃航空団第U飛行隊 ドイツ1939年

037:B−2型 第3急降下爆撃航空団第T飛行隊第2中隊 リビア1941年

038:R−2型 第2急降下爆撃航空団第U飛行隊第6中隊 リビア1941年

039:D−1型 第2急降下爆撃航空団第T飛行隊第2中隊 ロシア1942年3月

040:D−1型 第2急降下爆撃航空団第U飛行隊 ロシア1942年12月

041:G−1型 第3地上襲撃航空団第10中隊 リトアニア1944年7月

042:G−1型 第2地上襲撃航空団 ハンス・ウルリッヒ・ルーデル大佐搭乗機 スロバニア1944年6月

ハンス=ウルリッヒ・ルーデル(Hans-Ulrich Rudel, 1916年7月2日 – 1982年12月18日)は、第二次世界大戦中のドイツ空軍の軍人。急降下爆撃機Ju 87 シュトゥーカで歴史上で最も多くの戦車を撃破した撃墜王ならぬ「戦車撃破王」である。フォッケウルフ Fw190での地上支援や空戦もかなりの回数があり、エースの条件とされる「敵機を5機以上撃墜」も満たしている為、第二次世界大戦のドイツ空軍を代表するエース・パイロットの一人にも数えられる。
出撃回数 2530回(内、Fw190FやFw190D-9での出撃も400回以上ある)
被撃墜回数 30回
戦闘による負傷 5回
ソ連軍によってかけられた賞金10万ルーブル(現在の日本円にして、およそ5000万〜1億円)
戦果
戦車 519輌(この数は戦車部隊一個軍団を撃滅したのに相当する)
装甲車・トラック 800台以上
火砲(100mm口径以上) 150門以上
装甲列車 4両
戦艦 1隻(マラート)(ルーデルの爆撃によって2番主砲塔より前部(一番主砲塔・艦橋・一番煙突含む)を失い大破着底。マラートはこの後も残った砲を用いて戦闘に参加するも、ドイツ軍地上部隊からの砲撃もあって1942年末までにすべての主砲を下ろし半ば放棄されている。終戦後数年を経て浮揚・修理された。)
嚮導駆逐艦 1隻
駆逐艦 1隻
上陸用舟艇 70隻以上
航空機 9機(戦闘機 2、爆撃機 5、その他 2。9機のうち1機はJu-87G型の37mm砲によって撃墜されたものである。)

 

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